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日本ボーイスカウト大阪連盟 吹田第9団 ボーイ隊の活動記録です
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産経新聞「彼らの心が折れない理由」小松成美さんの記事

4月15日産経新聞の記事より抜粋


「1965年4月、野口聡一は横浜市に生まれた。東芝のエンジニアであった父の転勤に従い、4歳の時には兵庫県揖保(いぼ)郡の太子町(たいしちょう)に移り住んだ。

 「父はカラーブラウン管の技術者でした。太子町に新しい工場ができたので、家族で引っ越し、工場のすぐ近くの社宅で11歳まで暮らすことになります」

 高度成長期、父は仕事に没頭していた。野口は、そんな父の背中を見ながら、のびのびとした少年時代を過ごす。

 「社宅には同じ年頃の子供が大勢いたので遊び仲間には事欠きませんでした。空き地に基地をつくり何時間も過ごしたり、夢中になって野球をしたり。じっとしていませんでしたね」

 野球とともに熱心に取り組んだのが、ボーイスカウトだ。母の勧めで小学2年生から入団した彼は、その活動を大人になっても続けることになる。

 「自然の中で過ごすハイキングやキャンプが楽しくて、小学5年生で神奈川の茅ケ崎市に移っても続けました。高校を卒業した後は指導者となって、子供たちに自分が習ってきたことを教えました」

 ボーイスカウトの活動は野口に世の中の広さを教え、一つの教えをもたらした。

 「同級生の中だけでは分からない縦の社会がありました。年上が年下に指示を出し、面倒見るんです。自分が上級生になれば、下を率いる責任を持たなければならない。団体行動には規律と責任が必要だと自然と心に刻みました。ボーイスカウトには『常に備えよ』という教えがあります。非常事態にも耐えられるように備えておきなさい、という意識は、宇宙飛行士に通じるものがあったと思います」

 健康な心身を持った野口は、冒険心に富んだ少年に成長する。中学3年生のころに、友人と2人で九州一周の鉄道旅行に出かけ、高校1年生では自転車に乗って日本縦断の旅に出た。・・・・・・・・

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ボーイ隊副長 m
性別:
女性
自己紹介:
影の副長
思春期だろうが何だろうがガンガン絡んでいく
スカウトにとっては少し面倒かもしれない(?)
妙齢のオカン

所属:ボーイスカウト大阪連盟
吹田9団 ボーイ隊 副長(会計・連絡担当)
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